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デーモンコア とても危険な実験

2014年6月 1日
ウサギの顔 核分裂性物質は、一定以上の密度や質量、または中性子反射体の影響により、臨界状態に達する。
この臨界に、あえてギリギリまで近づけて観測する実験が、1945年の第二次世界大戦末期、アメリカのとある研究所で手作業で行われていたんだ。
アヒルの顔 まあ怖い!
ウサギの顔 のちに2件の重大な放射線被ばく事故が起き、「デーモン・コアの事故」として知られるようになる。
デーモン・コア(Demon Core)とは、直径89ミリ、重量約6.2キログラムのプルトニウム-239の球体で、微量のガリウムを添加して合金として安定化したものだよ。
アヒルの顔 名前からしてヤバそうね。
ウサギの顔 最初の事故は、1945年8月21日、科学者ハリー・ダリアン(Harry Daghlian)が起こした。
彼は、デーモン・コアの周囲にブロック状のタングステンカーバイド製の中性子反射体を一つずつ積み上げ、臨界にどこまで近づけるかを実験していた。
事故は、ブロックを一つ多く積み上げてしまい臨界状態に達したことで発生した。
彼はすぐにブロックを取り除いたけど、わずか数秒で致死量の中性子線を浴びてしまったんだ。
25日後、ダリアンは急性放射線障害で死亡した。
アヒルの顔 とてもデンジャラスな実験ね!
ウサギの顔 2件目の事故は、結構有名だよ。
ルイス・スローティン(Louis Slotin)は、コアの上下にベリリウム製の半球形反射体(ヘミスフィア)を被せ、 反射体を閉じたり開いたりして、臨界に至る直前の中性子の挙動を観察していた。
本来、この実験は遠隔操作で行うべきだったが、スローティンは自らの「手技」で反射体の位置を調整していたんだ。
案の定、不注意により上部のヘミスフィアが落下して下部と接触した瞬間、完全な臨界状態に達し、コアが数千億回以上の核分裂を一気に起こした。
この時、空気中の電離による青白い閃光が観測され、スローティンはすぐさま反射体をはねのけたものの、10シーベルトを超える放射線を浴びてしまった。
これは全身被ばくの致死量を大きく超える線量だよ。
事故から9日後、彼は急性放射線障害で死亡。
彼の迅速な対応により、他の7名の研究者は致死線量を免れたものの、多くがのちに白血病やガンを発症することになったんだ。
アヒルの顔 わたしたちは好奇心旺盛だけど、危ないことはしないわね。
一線を超える彼らの行動力は、どこから湧いてくるのかしら?
デーモン・コアのイラスト画像

デーモンコアの「ちょっと失敗」の物語

「ええと、今日は何をするんだっけ?」
ロスアラモス国立研究所の、とある実験室。
ルイス・スローティンは、目の前のプルトニウムの塊をじっと見つめていた。
通称「デーモンコア」。悪魔の核。
聞けば聞くほど不穏な響きだが、その日はいつものように、核分裂の臨界状態ギリギリを探る、スリル満点の実験が行われるはずだった。
「いつも通り、ヘミスフィアを乗っけて、反射体をグイッと...」
スローティンは、長年の経験から培われた「感覚」で、半球状のベリリウム製反射体、通称「ヘミスフィア」をデーモンコアの上にそっと被せた。
このヘミスフィアは、中性子を反射して核分裂を促進させる、いわば核反応の「調整器」である。
この作業、本来なら機械を使って慎重に行われるものだが、彼は「そんな面倒なこと」を嫌い、 マイナスドライバー1本でヘミスフィアを持ち上げた状態で微妙なバランスを取るという、KYT認識ゼロの臨界実験を行っていた。
万一のために、予備のドライバーも近くに置かれていたという。
「よし、これで...ん?」
その時だった。
まるで悪魔が囁いたかのように、スローティンの手からドライバーが滑り落ちた。
コトン、と小さな音を立てて、反射体の上部がデーモンコアにピッタリとくっついてしまったのだ。
「あ、やべ。」
その瞬間、デーモンコアはまるで戦闘メカ・ザブングルを回顧するかのように、青い閃光を放った。
空気中の粒子が放射線で電離され、実験室の空気が、一瞬にして重く、そして奇妙な熱を帯びたように感じられた。
居合わせた研究者たちは、何が起こったのか理解するのに数秒かかった。
そして、顔面蒼白になった。
スローティンは、真っ先に反射体を引き離したが、時すでに遅し。
彼はその数秒で、致死量の放射線を浴びてしまっていた。
誰かが「臨界に達した」とつぶやいた。
スローティン自身も、事の重大さをすぐに理解していた。
自らが真っ先に危険を引き受けることで、他の研究者たちの命を救ったと言われている。
その後スローティンは、激しい苦痛の末に亡くなった。
事故からわずか9日後のことだった。
そして、同席していた研究者たちも、多かれ少なかれ放射線の影響を受け、後に健康被害に苦しむことになる。

「デーモンコア」と呼ばれたこの核分裂性物質は、その後、原爆実験への使用が中止され、厳重に分割・保管されることとなった。
スローティンの死をきっかけに、実験手順の見直しや、安全機器の導入が急速に進められるようになる。
この出来事は、科学の進歩には細心の注意と、そして「指先の感覚」に頼りすぎない設備と体制が不可欠であることを、痛いほど教えてくれた。
そして、今日も世界のどこかで、科学者たちが「ちょっと失敗」のないように、日々奮闘していることだろう。
デーモンコアの物語は、科学の危険性と、人間のちょっとした油断が招く悲劇の、何とも皮肉な教訓なのである。

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